ここはビリヤード競技場。
紳士たちが日夜競技の腕を磨き、一位を目指している。
この競技場はランク制が導入されており、一位から十位までの人物の名前がバーの横に備え付けられている。
「……くっ」
一人の男性が膝をついた。
「俺の負けだ」
相手がそう告げると、金髪の身長一八十センチはあろう長身細身の男性が軽く笑った。
「なかなか腕が立つようだが、この私にはかなわない。そうだろう?ニコラ」
金髪の男性は後ろへ振り返り、お付きのじいやニコラへ視線を向けた。
「ええ、クロヴィス様」
クロヴィスと呼ばれた男性は鼻を鳴らしながら、失意に落ち立ち上がった相手へ腕を伸ばす。
「しかし君の切れのある突きは見事なものだった。良ければまた相手をしてほしい」
相手の男性は笑みを浮かべ手を差し出し、賞賛の握手を交わす。
周りで拍手が起こり、静まり返ると、握手を終わらせクロヴィスはバー横の名前欄へ近づく。
「ふむ、マスター!」
呼ばれると、競技場の支配者でありバーのマスターはクロヴィスへと近づく。
「何でございましょう」
「私の名札はいつ頃出来上がるのかな」
マスターは少し考えるそぶりを見せる。
「三日前に注文しましたから、明後日には出来上がるかと」
「そうか、それまでには一位になれるな」
顎に手を当てながら軽い笑いを漏らしていると、二コラが背後から、そのようにうまくいきますでしょうか、と疑問を投げかける。
「なに?二コラ、あなたは私の腕が信じられないのか?」
「そのようなことを申しているのではありません。あなたは幼少の頃よりビリヤードを嗜み、20年ほど続けておられる。他の競技場でもその腕を振るわせておられます。しかし、ここの競技場で数年は上位三名の名前が変動していないそうではありませんか」
「なに?そうなのか?」
クロヴィスは驚きの声を上げながら、マスターへ視線を向ける。
「ええ。その通りでございます。あなたが先ほど負かしたレノーも数年前までは二位の座を有しておりました」
「だけどな――」
レノーはクロヴィスへ近づき、言葉を続けた。
「今二位のそいつが入ってきたと同時にその場を奪い去ったんだ」
「ほう。二位の彼はそんなに強いのか」
「ああ。しかもここの誰よりも若い。初めは驚いた。彼も幼少よりビリヤードを嗜んでいたようだが、それにしても腕がよかった。所作が美しいんだ」
「ふむ。なるほど……。ちなみに名前は――」
クロヴィスは目線を上に上げ、二位の名前を読み上げる。
「エトワール……エトワール?」
思わず二度見をし、二度読み上げる。
「ここは紳士の場だろう?なぜ女性がここに?」
マスターとレノーの顔を交互に見やる。
「ああ、まあ……それは自分の目で確かめてくれ」
「そうですね。それがいい」
何かを隠されているようだが、クロヴィスはそれ以上聞かなかった。
男性の中に紛れる一輪の花。それがどのような女性でどれほどの実力があるのか、それだけが気になった。
三十分ほど競技場で練習と休憩を繰り返していると、入口の扉が開き鈴の音が鳴った。
「こんにちは~」
その声は明らかに女性のもので、クロヴィスは驚き急いで声の下入口の方へ体を向けた。
「……はっ」
クロヴィスは息を飲んだ。
そこには小さく可憐で愛らしいワンピース姿の女性がいた。
彼女は迷うことなくバーの椅子へ腰かけ、マスターと話を始めた。
「こんにちは、お嬢様。今日は彼は来ないのかな」
「こんちにはマスター。まさか、私が来て彼が来ないなんてことございません」
女性は軽く微笑む。
「そうだね。失礼した」
「もうすぐ来ると思うわ。少し子供たちに止められてしまっているの」
「あそこの子たちもあきらめが悪いね」
「まったくよ。親に言っても聞かないんだもの」
そんなやり取りをしていると、マスターは彼女の前にザクロジュースを差し出した。
「ウェルカムドリンクだよ。召し上がれ」
「いつもありがとうございます」
彼女は一口ザクロジュースを飲むと、近くにあった紙ナプキンで口元をぬぐった。
両手には白い手袋。頭には大きな青いリボン。白を基調としたワンピースに輝くような吸い込まれる青い瞳。
クロヴィスは無意識に立ち上がり、彼女へ近づく。
「お嬢さん」
声をかけると、彼女は上目遣いでクロヴィスの顔を見やる。
それがまた可愛らしく愛らしかった。
「何かしら」
「……んんっ!えー、初めまして。私はクロヴィス。最近この競技場に来てね。まだわからないことが多いのだけれど、仲良くしてくれると嬉しいよ」
「まあ、新しい方でしたのね。ご挨拶遅れてしまい申し訳ございません。私は――」
「ああ!言わなくてもわかる。君がエトワールさんだろう?」
「え、いえ、私は――」
「ああ!分かっているさ!分かっているとも。君がかなりの実力者だということが」
「えぇ……」
困った女性はマスターの方へ助け船を出す。彼はくすくす笑っているが、彼女が助け舟を出したことを理解すると、クロヴィスの方へ声をかけた。
「えー、クロヴィス様」
気分がいいのか、彼は先ほどから口角がずいぶん上がっている。
それでもマスターの声には反応し、何かな、と返事を返した。
「彼女はエトワール様ではございません」
クロヴィスの笑顔はどこへ行ってしまったのか、上がっていた肩とともに口角も落ちていった。
「……え?」
「私はミル。エトワールは私の連れです」
「え、あー……そうなんだね。……あ、そっかぁ」
クロヴィスはどこか残念そうに椅子へ腰かける。全身から力が抜けていくように。
ではエトワールとはどのような女性なのか。ミルの連れなのならば同じく可愛らしいのだろう、と再び期待に胸を膨らませる。
その時、再び扉が開かれた。
「こんにちは」
しかしその声は男性のものだった。まだ彼女は来ないのかと落胆していると、その男性はミルの隣の椅子へ腰かけた。
クロヴィスは小首をかしげる。
「エト様、またずいぶんと足止めを食らいましたね」
「まったくですよ。どこからわたくしの予定を入手しているのかは知りませんが、もうさすがに手に負えません」
「ふふふ、でも子供たちと遊んでいるときは楽しそうですよ?」
「まさか。そのようなことはありませんよ」
男性は差し出されたウェルカムドリンクを一口飲み、紙ナプキンで口元をぬぐった。
「そうだ、エト。彼があなたに用があるみたいなの」
ミルがクロヴィスの方へ体を向け手のひらを差し出す。
呆然としているクロヴィスへ、杖を持ち、青を基調とした服を着て帽子をかぶった男性が近づく。
彼は帽子を取り、クロヴィスへ姿勢を正す。
「わたしくに何か御用でしょうか」
最年少とは思えないほどの美しく正しい所作に驚きながら、クロヴィスはようやく口を開いた。
「わ、私はクロヴィス。もしかして、君が……」
目の前の男性は困惑しながらも、自己紹介をしてくれた。
「わたくしの名前はエトワール。もしや新人様でしょうか。自己紹介が遅れて申し訳ございません」
「そ、そんな……」
彼は床へ膝を突き、うなだれる。
「わたしくは何か言ってはいけないことを言いましたでしょうか?」
「あー……貴方にとってはいつものことですわ」
エトワールは何か心当たりがあるのか、少し眉をひそめた。
「あ!そうか!」
クロヴィスはすっくと立ちあがり、約十センチ下にある顔を見下ろす。
「君もしかしてボーイッシュな方の女性だね!」
「……は?」
「いや言わなくてもわかる。私が男女の区別が付かないなどありえないのだから!」
その場の人は呆れや笑いをこらえるのに必死だった。
「クロヴィス様、名前に騙されたとしておいてもそれは少々失礼が過ぎますよ」
二コラはクロヴィスの前に出て、エトワールへ一礼する。
「失礼いたしました、エトワール様。私はクロヴィス様の付き人、二コラにございます。彼の非礼をお詫びいたします」
「ご丁寧にありがとうございます。よくあることですが、ここまで引かない方はお初にお目にかかります」
「頑固な性格がお強うございまして」
「なんてことを言うのだ二コラ!エトワールだなんて女性名を見てしまっては、先行的に麗しい女性を思い浮かべてもおかしくはないだろう!それに男性にしては少々小さ……い⁉」
目の前に杖の先が現れて、クロヴィスは肩を震わせて驚く。
「この俺のどこをどう見たら女性に見えて、そこまでかたくなに男だということを認めないのか話を聞かせてもらおうか」
クロヴィスは杖に押されるようにして背後へとじりじりと追いやられる。
「エト、杖はおやめなさい。危ないわ」
ミルの静止でエトワールは杖と腕を下した。カツンっと杖の突く音が聞こえた。
「それにしてもあなたすごいわね」
クロヴィスはネクタイを整えながら、ミルの方を見やる。
「そりゃあ、私のビリヤードの腕は極上だからね」
「違います」
回答を一刀両断して、ミルは言葉を続ける。
「あなたエトの嫌うことを二つも引き出して引かないんですもの。このような方は初めてではなくて?エト」
この競技場でも何度か名前で性別を勘違いされたが、皆姿を見ればすぐに訂正謝罪をしてくれていた。
ここまで意固地になって認めないものも珍しい。
「そうですね」
エトワールは溜息をつきながら同意する。
「彼、名前が女性名詞なのを少し気にしているの。よろしければエト、と呼んであげてください」
「無理にとは言いません。名前は好きですし、しつこくなければエトワールでも大丈夫です」
二人に見つめられ、クロヴィスはなんだか暖かな庇護したい気持ちが出てきた。
クロヴィスから見れば、二人はどこか守りたい子供に見えたのだろう。
「分かった。私が悪かった。これからよろしく、エトワール」
クロヴィスは右手を差し出し、握手を求める。
「こちらこそよろしくお願いします。クロヴィス様」
互いに握手を交わすと、エトワールはグイっとクロヴィスの方へ腕をひかれた。
「ではお近づきになれたということで、これから私とビリヤードで勝負をしていただけますね?」
エトワールは驚いたのか少々瞳を小さくしていた。
「先ほどレノーまで負かして勝利を掴みましてね。あとは二位の君と一位の方だけなのだよ」
「なるほど、道場破りのようなものですか」
「あんなに野蛮じゃないさ。紳士だからね」
「先ほどの対応は紳士とは程遠いように思えましたが、まあよろしいでしょう。その勝負受けて立ちます」
互いに手を離し、準備に取り掛かる。
エトワールは帽子、ストール、上着を脱ぎ、ミルへ手渡す。杖の頭を外し、中からキューを取り出した。
「ほう、なかなか面白い入れ物だな。どこの代物で?」
クロヴィスは自身のキューを手に持ち問いかける。
「特注品なのですよ。会員制のお店でしてね。杖のコレクションはたくさんありますが、いくつかお見せいたしましょうか?」
「いいや。杖にはそこまで魅力を感じないのでね」
「キューのコレクションもありますよ」
「……それは気になるな」
雑談をしながら二人はビリヤード台へ向かい、位置へ立つ。
周りが色めき立つ。
「さすがのエトワールも今回は難しいじゃないか?」
「さすがになあ。腕がよすぎるよ」
「この数日間の猛進劇はすごかったからな。ミルちゃんはどっちの応援するんだい?」
一人の男性に声をかけられて、ミルは微笑む。
「もちろんエトですよ。それ以外ありません」
「愚問だったね」
マスターがビリヤード台の傍へ近づくと、エトワールが口を開いた。
「ルールは?」
「テンボール」
即答するあたりかなりの自信があるのだろう。
両者肩の力を抜きながら、台の前に立つ。
「お先にどうぞ」
クロヴィスがエトワールへ促す。姿勢を見たいのだろう。どれほどの実力があるのか、先に見ておきたい。
「お言葉に甘えて」
エトワールはキューを持ち、長年ビリヤードを嗜んできたのかと思えるほどの鋭く強い意志のこもった瞳で最初の一球を突く。
三角に整理された球は各々バラけて散っていく。
「ふむ……」
エトワールが台から少し離れると、クロヴィスが手玉の方へ向かう。
「一番……左奥コーナー」
距離がある場所を選ぶ。自信があるのか時間稼ぎか。どちらも持ち合わせているのであろう。静かな声の中に自信が漲っている。
クロヴィスが突いた手玉は一番のボールに当たり、奥にあった八番ボールに当たり止まった。
「一番、左サイド」
エトワールは宣言をし、一番から見てがら空きになったポケットへボールを入れた。
「君、本当に最年少?雰囲気がそうといえないんだけど」
「もしかすると六十代のベテランかもしれません」
「そう言われてもおかしくはない」
クロヴィスはエトワールにいくつか質問を繰り返したが、どれも曖昧で的を得ないようなものばかりだった。
何度か番が回り、ラスト二球になった。
「これは……」
どう頑張ってもクロヴィスの番で九番ボールはポケットへ入り、エトワールの実力ならば十番ボールも一回で入ってしまうだろう。
どこで予測を見誤ったのか、クロヴィスはいくら考えてもわからなかった。
「どうかしましたか」
エトワールの問いに、クロヴィスは曖昧な返事を返す。
「九番…………右手前コーナー」
ここまで来ては時間稼ぎはできない。周りはクロヴィスの実力をこの数日で思い知っているのだから。
クロヴィスの突いた手玉は九番ボールを打ち、宣言したポケットへ吸い込まれるように入っていく。
「十番、右奥コーナー」
エトワールの突いた手玉は十番ボールを打ち、こちらも吸い込まれるようにしてポケットへ入っていった。
「……勝負ありですね」
勝負の行く末を見守っていたマスターが言う。
「お二人とも見事なお手前でございました。お飲み物をご用意いたしますね」
そう言って、マスターはバーの奥へと引っ込んだ。
ポケットへ落ちたボールたちを拾い、元の位置へ戻す。台も奇麗にして互いにバーへと向かう。
「想像以上だったよ」
「楽しめたでしょうか?」
エトワールの問いにクロヴィスは、もちろん、と返した。
後からミルも来て、彼女はエトワールの隣の椅子へ腰かけた。
「今回も格好良かったわよ。でもいつもよりヒリヒリした空気を感じたわ」
ミルはエトワールへ服と帽子を渡し、彼はお礼を言ってすぐにそれを全て着てキューを杖へしまった。
「彼の実力がそれほど高かった、ということですよ。なかなかに楽しめました」
「それはよかった」
マスターにそれぞれの飲み物を差し出され、各々雑談を交わしながら飲み干していく。
十五分ほど話をして、エトワールたちは椅子から立ち上がった。
「では、わたくしたちはそろそろお暇させていただきます」
そういいながら、彼は財布からいくつかの料金とチップをバーカウンターへ差し出した。
クロヴィスも椅子から立ち上がる。
「クロヴィス様、私も楽しめましたわ。またお会いいたしましょう」
「ああ、私も君たちのことはかなり気に入ったよ。エトワール、また君と手合わせできることを祈ろう」
クロヴィスは右手を差し出し、エトワールはそれに応える。
「ええ、また。と言っても、わたくしはここに出入りしておりますのでまたすぐにお会いできるでしょうけど」
お互いに握手を終えた。
「もっと君たちについて知りたいんだ。良ければ住所を教えてはくれないだろうか。もちろん私の方でも構わない」
エトワールとミルは顔を見合わせ、すぐにクロヴィスの方へ視線を戻した。
「教えずともすぐにわかるかと」
「そうね。それに、私たちのことはだれにもわかりませんから」
要領を得ない回答に、どういうことなのかと質問を投げかける。
「そのうち分かりますよ」
エトワールは帽子をかぶり直し、出口へとミルと向かう。
「それでは皆様、ごきげんよう」
「またお会いいたしましょう」
扉が開かれて鈴の音が鳴る。
競技場内で別れの挨拶が終わると、再びボール同士がぶつかる音が響き始めた。
「二コラ」
「何でございましょう」
「彼らのことを探るぞ」
「それほどお気に召しましたか」
「ああ、彼らはきっと面白い。私の人生に花をくれるだろう」
クロヴィスは順位表の前に行き、それを見上げる。
二位はエトワール。
一位の名札は空だが、それでもあそこには誰かがいる。
その誰かを負かすまで、彼はこのビリヤード競技場に通い続けるのだろう。
おまけ――
街道を歩いていた。
「ねえ、エト」
「何でしょうか」
ミルは下から覗き込むようにして、エトワールを見上げる。
「一位の彼には次はいつ挑むのかしら」
ミルの言葉に、彼は足を止めた。
エトワールは背後へ振り返り、通い詰めたビリヤード競技場を見やる。
「わたくしにはまだ早いかと」
「あら、そうかしら。私はもう十分だと思いますけれど」
「彼は元世界競技者ですよ。もっと腕を磨かなくては」
一位の彼の正体を知っているのは、エトワールとミル、そしてレノーのたった三名になる。
二位にまで上り詰めなければ、彼の正体を知ることはできない。
「んー。それにしても」
再び歩き始めた二人は、公園の横を通り過ぎていた。
「あなたの俺呼びは久しぶりに聞きましたね。私は好きですが、あの場ではやはりあまり使いたくありませんか?」
「それはもちろん。それでなくても名前と容姿で舐められることがあるのですから」
「そうですか。話は変わりますが、明日はお店を開ける、で、いいのですよね?」
今日は臨時休業という形をとってしまったので、一応の確認、ということだろう。
「ええ。明日からは通常通りに」
「良かったわ。……それにしても、彼は私たちの所在を明らかにしてくるかしら」
「お店の宣伝はほとんどしていませんし、町のほとんどの人は知らない体系をとっていますから、どうでしょうね」
そんな話をしながら、二人は街の奥へと消えていく。
二人は、彼らを必要としている人が来るのを、町の端で待っている。
代理OC
北嶌千惺の代理を務めるキャラクター。
初めは二人だったが、物語を描くようになり三人に増えた。
名刺やちょっとしたアクセントなどでちょこちょこ出てくる。
書かれている設定以外には考えていないので、物語によって関係性が変わる。
キャラクター設定
エトワール
ミル
クロヴィス
OC小説-ビリヤード編-
作:北嶌千惺
登場人物
・エトワール
・ミル
・クロヴィス
・二コラ
・マスター
・レノー
※ビリヤードはプレイしたことのない者が書いております。
間違いがあればお知らせ頂けますと幸いです。
――本文――